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大川家具の歴史

1.大川家具のおこり 2.産地の形成
3.戦後の復興と全国市場への展開 4.現在の大川
2.産地の形成 伝統と技術が集積された大川の家具
明治10年ごろ 榎津箪笥が生まれる。

榎津箪笥
大川独特のデザイン、機能を持った衣裳箪笥が生まれたのは明治10年頃。非常に大型で、材質は杉・桐・欅を使い、素木・透漆・黒塗などで仕上げられているのが特徴です。また、箪笥の金具には鉄・銅・真鍮などを使い、薄いタガネによる細かな透彫りを施すという手法も大川独特のものでした。当時、ひとつの箪笥が完成するには、
 1.木挽きによる製材
 2.金具製造
 3.塗装技術
 4.木工職
という4つの高度な技術をもった異業種の職人による技術が必要で、その4つの技術の粋を集めた作品が「榎津箪笥」だったのです。
明治22年ごろ 大川木工の発展のきっかけ
今から約100年ほど前の明治22年(1889)、町村合併によって大川町が誕生し、木工関係者が町全体の四分の一を占めるほどになりました。この発展の原因には、塗装方法や木工機械の進歩などの技術の発展のほかに、材料の木材が確保できたことと、家具製品の販売先が広がったことがあげられます。
明治42年(1909年) 大川指物同業組合が結成される。

明治時代の大川の木工業  
明治時代になると、最新の技術が導入され、新しい意匠を加えた精巧な家具が生産されるようになり、大川の町も“家具産地の町”として全国にその名を知られるまでになりました。
明治44年(1911年) 同業組合立「大川工業講習所」が開設される。
大正元年(1912年) 大川鉄道が敷設され、販路が拡大される。

大正時代の大川の木工業
 大正に入り、第1次世界大戦時およびその直後は、大川の木工業もその例にもれず、好景気の波が押し寄せました。しかし、大正9年にもなると戦後の恐慌が押し寄せ、日が経つごとに不況の度を増していきます。しかし、こんな状況下、大川の業者はさらなる努力を重ね、品質の向上に努め、不況の打破を試みます。このため、業者数、従業員数、生産高ともに好調な成長を続けました。またこの頃、組合では各地で開催される博覧会・共進会・品評会に「大川の指物の真価を周知させ、販路を拡張する」という目的で、主な業者の代表的な作品の出品を積極的に進め、大川の家具の宣伝に尽力。その結果、近隣市町村に販路が広がるという成果を挙げました。



需要の増大による機械化。その創成期

カッター

自動かんな

手押しかんな
角のみ
大正期、大川の木工業は、増大する需要に応えるべく、木工機械の導入が進められます。その背景には、好景気による職人不足もあげられます。榎津で問屋を営んでいた松本由太郎は、大正8年京都大学工学部武田教授の指導を受け、機械化を実践。
大正11年には工場を完成させました。導入された機械は「鋸・帯鋸・カッター・手押鉋・自動鉋・自動角のみ盤」などで、当時では画期的な生産力を発揮するものでした。
昭和12年(1935年) 日中戦争により、家具の生産が中断される。