大川の技と職人

家具の歴史

大川家具のおこり

-その起源は約460年前にまでさかのぼることができる-
「いいものには歴史あり。」その歴史の扉を開け、理解すれば、もっと大川の家具が好きになれる。

 

室町時代後期

大川家具の開祖、榎津久米之介が船大工の技術を生かして、天文5年(1536年)指物(さしもの)を始める。これが「榎津指物」の起こりとされているが、家具が主流になるにはまだ時を要する。

 

木工の祖、榎津久米之介

室町幕府十二代将軍・足利義晴の家臣、榎津遠江守の弟として生まれた榎津久米之介。大川市榎津本町の願蓮寺に今も残る古文書によると、彼は兄の戦死後、天文4年(1535年)出家。翌、天文5年(1536年)一寺を建立し、「願蓮寺」と名づけた。久米之介は、家臣の生活のために、そのころ盛んだった船大工の技術を生かし、指物(家具)を作らせました。

榎津久米之介師像

榎津久米之介師像

 

これが「榎津指物」の起こりとされています。彼は天正10年(1582年)8月10日、96才で死去。その後、家臣は工商をなし、榎津久米之介の精神を受けついでいきました。

 

 

江戸時代後期

中興の祖、田ノ上嘉作 は文化9年(1812年)榎津長町に生まれ、久留米の細工人に弟子入りし箱物の製作を修得して帰郷。これが榎津指物のはじまりと言われている。

 

中興の祖 田ノ上嘉作

文化9年(1812年)榎津長町に生まれた田ノ上嘉作は、家大工の傍ら建具製作に携わっていました。大阪で指物の修行した優秀な細工人が久留米にいると聞き、すぐに弟子入り。箱物(物を入れる箱の家具類)の製作を修得して榎津に戻り、これが榎津箱物のはじまりと言われています。
その後榎津箱物は、息子儀助、さらにその息子小平次に受け継がれ、さらなる発展を遂げます。

榎津箱物(四代嘉作製作)

榎津箱物(四代嘉作製作)

 

大川指物とは・・・

「大川指物」とは釘を使わず、板と棒、棒と棒を使い、木に穴や切りこみを入れ、差し合わせて組み合わせたタンス、箱物、机のこと。

 

 

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